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冷えのはなし(4)

住み込みで新聞配達を続け、ようやく大学に合格しました。大学は京都の大学でした。

で、京都へやってきて、住み始めたのは銀閣寺道ちかくのアパートでした。アパートと言っても何だかよく分からない建物で、今考えてみると、倉庫か物置の建物をアパートみたいに改造した、奇妙なところでした。

 一階は、四畳半が二つと六畳の部屋が一つ。二階も同様なのですが、二部屋は一階にある階段から上がり、もう一つの部屋はなぜか外の階段から入るという、ヘンな作り。さらにそこへピッタリと六畳部屋を二個タテにくっつけて、それぞれに入り口を...あ~もう文章では説明しようがありません。

そしてボクの入った部屋は、なぜか半地下になっている部屋で、ちょっと湿気が高い部屋でした。さらに天井が低く、身長165センチのボクでも、手を伸ばせば手のひらが天井に着くような部屋で、ほんとにもう、ヘンな部屋。
利点と言えば、部屋賃が安いことと、窓から大文字山の『大』の字が見えることくらいで、今のボクなら、絶対にこんな部屋は選ばない...という感じの部屋でした。

そこでボクは、都合8年くらい暮らしたのですが、最初の数年は「冷え」なんてことは実感として全然もっていませんでした。

なぜそのころに「冷え」を感じていなかったのだろうと、理由をちょっと考えてみたのですが、どうも大学で拳法部に入って思いっきり体を動かし、帰りに「餃子の王将」などで飯をバクバク食っていたからのような気がします。
当時は、百万遍にも農学部前にも銀閣寺道にも餃子の王将があって、体育会系の学生はもう、みんなして王将でメシを食っていたのです。その他にも学生向きの食堂がたくさんあって、ハイライトとか、百万石とか、安くてたくさん食える店が山ほどありました。  

 最近の王将は、なんかえらく値が張るようになりましたが、当時は500円もあればかなり食えました。だからそれで、相当量の野菜とタンパク質が取れていたんですね。身体も毎日のように動かして、汗も当たり前のようにかいて、そしてしっかり食っていたのですから、確かに体には良かったのでしょう。
体重も、入学当初は55kg(身長165)だったのが、63kgくらいになって筋肉もついていました。

ところが、そのころから徹夜のアルバイトを始めたのです。
徹夜といっても、オールナイトの映画館の店番なんですが、これが結構身体に響いたようです。

そしてもう一つ「牛乳が飲めなくなりました」。牛乳を飲むと、5分とたたないウチに下痢をするようになりました。乳糖不耐性の下痢です。もう身体が大人になったと言うことでしょうか。そして四回生になり、拳法部を卒部して体を動かす度合いが減った途端に、身体の「冷え」が露呈し始めました。

腰痛やヒザ痛はそれまでも意識していたのですが、ソケイ部や股関節の奥まで冷える感じになりました。

京都の冬は、大阪と比べて2℃ほど低いのですが、その寒さが身にしみるようになっていきました。
仙骨と腸骨の間の関節を「仙腸関節」と呼びますが、そのあたりまで「冷え」を感じるようになりました。

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